やまがたレトロ館( 旧山寺ホテル)ブログ

2012年より「やまがたレトロ館」として開館した登録有形文化財・旧山寺ホテル(山寺・宝珠山 立石寺)のイベント情報をお届けします

旧山寺ホテルの歴史

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 山寺は霊山であるが故にかつて旅籠はなく、坊が存在していました。しかし、宝暦年間(1751年)になって立石寺により旅籠屋営業が許され、当時川原町に24軒の宿屋があったと言われています。(伊沢不忍著山寺百話より)
 旧山寺ホテルの前身は現在の川原町(立石寺門前町)にあった、当時からの旅籠「中島屋」。しかし大正2年8月、立谷川が氾濫し、建物は流されてしまいました。中島屋の面影は、ホテル正面に掲げられた木製看板裏面の「中島屋治良兵衛」という彫文字に見ることができます。

 建物流失後、対面石の対岸にある現在の場所(南院)に移転再建されました。かつてこの建物は、医院だったとも言われています。明治35年当時の所有者今野有石氏はこの建物をすでに「山寺ホテル」と称していたため、中島屋七代目武田治良兵衛氏は、屋号を「山寺ホテル」として引き継ぎました。この建物は、現在の正面左手の母屋に当たりますが、現在は所有者居住部であるため立ち入ることはできません。その後多くの方々より支援を得て、二階建ての旅館及び庭園を整備し、大正5年、高等旅館として営業を再開しました。当時は立石寺に面した庭園側が正面玄関であり、人力車で賑わう様子が写真に残されています。また昭和期になると、北側庭園は山形・天童方面へのバス発着場となり、さらに賑わう様子が館内に写真展示されています。

 その後山寺は山形と汽車で行き来ができる時代となります。仙山線は仙台と山形を結ぶ国鉄線で、昭和8年に山形ー山寺間が開通しました。この当時山寺ホテルの玄関は、まだ庭園側にありましたが、4年後の昭和12年には仙台ー山寺間が開通し、仙台―山形間全線開通となりました。これにより、山寺は観光地としての隆盛期を迎えます。山寺ホテルは全線開通前の昭和11年、新館(現在の正面右手)を増築し、山寺駅と相対した現在の東側を表玄関としました。以前の表玄関は裏玄関となり、現在も庭に面し残っています。

 新館は当時モダンな造りになっており、玄関すぐ右手には洋風の食堂があったということです。外に面したショウウインドーにその面影を見ることができます。また、新館の屋根は当時最先端であったセメント瓦で葺かれています。さらに電話が引かれ、山寺ホテルは「山寺三番」として電話が設置され、当時の電話室が残されています。

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